瀬戸内寂聴さんの文筆活動
via www.vogue.co.jp
膨大な数の寂聴さんの作品の中から、特に話題になった作品をほんのちょっぴりだけピックアップ
『花芯』(1958年)
『夏の終り』(1963年)
『寂聴 般若心経』(1988年)
『花に問え』(1992年)
『場所』(2001年)
『夏の終り』(1963年)
『寂聴 般若心経』(1988年)
『花に問え』(1992年)
『場所』(2001年)
「夏の終わり」二度目の映画化は2013年公開。満島ひかりさんの熱演が話題となりました。
ケータイ小説も書いていらした寂聴さん!
via www.oricon.co.jp
同作は、瀬戸内が今年の5月から4ヶ月間に渡り、ケータイ小説サイト『野いちご』に投稿していた作品。『源氏物語』をモチーフに書かれ、両親の離婚に振り回されて何事にも冷めた態度の女子高生・ユーリが、バイト先のイケメン・ヒカルに一目ぼれし、恋に落ちていくというもの。瀬戸内は「若い子に読まれているケータイ小説を無視できなかった」と執筆のきっかけについて切り出し「(ケータイ小説は)大人の目から見たら非文学的で、日本語を悪くすると批評されていた。だけど、批評するには(ケータイ小説が)わからなくてはいけないと思い、一生懸命読んでみました」と話した。
また瀬戸内は、これからケータイ小説を書こうとしている若者に向けて「自分の思いを自分の言葉で書けばいい。人の心を感動させるっていうのはなかなか出来ることじゃない。ケータイ小説は文学の一種だと思います」と説得力十分に呼びかけた。ただ、2度目のケータイ小説執筆については「もう嫌! こんなに手間ひまかけて無理にやらなくても、自分の小説書いたほうが楽ですよ。もう結構」と本音を明かし、笑いを誘っていた。
とはおっしゃりながらも・・携帯公式サイト「寂聴の人生相談室」も更新中。
出家した経緯
1973年に今春聴(今東光)大僧正を師僧として中尊寺にて天台宗で得度 、法名を寂聴とする。
via www1.nhk.or.jp
翌年、比叡山で60日間の行を経て、 京都嵯峨野で寂庵と名付けた庵に住まいを置き現在に至る。
万華鏡のような人生を歩んでいらっしゃる?
大学在学中に婚約、結婚、出産を経て駆け落ち。
のちに作家デビュー。そして出家。
そんな、凝縮された女の人生はまるで万華鏡のよう
夜はバーとして営業している六曜社地下店には、「寂」のサインが書かれたウイスキーのボトルが一度も開けずに、今もキープされている。
「えーー。そうそう、言われて今思い出した。それは、出家した後ですね。また飲みに行かないといけないですね。
大病を患い「神も仏もないと思った」との寂聴さんですが見事にご復活!まさにその存在は「不死鳥」
今やすっかり有名になった美しい秘書・瀬尾まなほさんとのユーモアたっぷりの軽快なやりとりを拝見していると、今も「人生満喫中!」の印象を受けます。チャーミングな魅力は、寂聴さんにも、まなほさんにも共通するところ。「人生は出会い」という言葉が頭に浮かびます。
via hhinfo.jp
寂聴さんの今まで歩んで来られた道を拝見して感じた「女の人生」へのメッセージ
幸福になるためには、 人から愛されるのが、 いちばんの近道です。
最後の長編小説と自ら仰る「いのち」を書きあげた寂聴さん。身を削る思いで取り組まれたという渾身の作品です、親交のあった2人の女性作家の思い出を中心に、みずからの老いと命を見つめています。波乱万丈の人生の中で、女性の情念や愛を描き続けてきた寂聴さんの集大成とも言える作品なのでしょうか・・
あなたは苦しんだ分だけ、 愛の深い人に育っているのですよ。
大病を乗り越えられて、衰えるどころか、ますます創作意欲を燃やされ、大作を書き上げられた寂聴さん。
寂聴さんの歩まれてらした人生・そして「今」を拝見していると、今、自分の中にある迷いが、なんてちっちゃいものなの?と感じてしまいます。
勇気をもって行動せよ!
愛を信じて突き進め!
だけど、行動には責任を持とう!命をかけて!
そしてすべての行動に「年齢」を前提にしてはいけない。
そんな強いメッセージを感じます。
寂聴さんの歩まれてらした人生・そして「今」を拝見していると、今、自分の中にある迷いが、なんてちっちゃいものなの?と感じてしまいます。
勇気をもって行動せよ!
愛を信じて突き進め!
だけど、行動には責任を持とう!命をかけて!
そしてすべての行動に「年齢」を前提にしてはいけない。
そんな強いメッセージを感じます。
東京女子大学国語専攻部卒業。
1956年、処女作「痛い靴」を発表、同年「女子大生・曲愛玲」で
新潮同人雑誌賞を受賞。
その後、数多くの小説を発表し、人気作家となる。