「らしさ」って?
女らしさってなに?
じゃあ、女らしさってなんだろう?
男と女を生物的に分類することは、ある意味、可能なことです。肉体的・生理的なそれぞれの特徴を捉えて「男らしさ」「女らしさ」と表現することも、ある意味、可能なことかもしれません。
では、そのほかの要素、例えば行動や性格、振る舞い、考え方を元にした「男らしさ」「女らしさ」という定義が存在するとするならば、現代のオトナ女子にとっての「女らしさ」はどう捉えればよいのでしょう?
では、そのほかの要素、例えば行動や性格、振る舞い、考え方を元にした「男らしさ」「女らしさ」という定義が存在するとするならば、現代のオトナ女子にとっての「女らしさ」はどう捉えればよいのでしょう?
求められる女らしさってなに?
女子が女子を女っぽい?と捉える瞬間とは?
同性の視点は?
同性を「女性らしい」と表現する時は服装や雰囲気や物腰、言葉遣いなどの目に見える部分を指す場合もありますが、「女っぽい」という表現には時に、あまり好ましくない印象を表現する場合もあるような気がします。社会的な場、個人的な場で「あの人は女っぽいよね」的な言われ方をする時には、嫉妬・妬み・嫉みが根底にあったり、あざとい・したたか・思わせなどなど、女性が女性を「女っぽい」と表現する時には必ずしも好意的ではない場面もあるような気がします。
男子が女子を女っぽい?女らしい?と捉える瞬間とは?
女らしさに定義はない
「らしさ」は人に決められるものではない?
女らしさ、男らしさ、あの人らしさ、この人らしさ、その人らしさ、親らしさ、子供らしさ、上司らしさ、すべての「らしさ」に定義はない?
自分自身のものの考え方や捉え方、価値観をしっかり持って、「自分自身」を大切にすることが「らしく」生きること?ならば、「らしく」は人に強制されるものではない?ましてや、そこに「男」や「女」の括りが存在するものではない?
自分自身のものの考え方や捉え方、価値観をしっかり持って、「自分自身」を大切にすることが「らしく」生きること?ならば、「らしく」は人に強制されるものではない?ましてや、そこに「男」や「女」の括りが存在するものではない?
瀬戸内寂聴さんが捉える「女らしさ」
男にはできない、女のよさがあると思いますよ。そこにお茶があって、人がいたら、入れてあげたらいいと私は思うんですよ。女だから入れさせられる、なんて血相を変えることはないと思う。もっとこう、堂々としてたらいいんじゃないかしら。女とか男とかにこだわらないほうがいいんじゃないかしらね。私は割合、女とか区別しなかったから。かえって男にもてましたよ。
そもそも、今の若い男の子は「女らしさ」なんて求めてないんじゃないかしら。一緒にお酒を飲んで、一緒に酔っ払えたらいいと思っている。もし、嫌われるんじゃないかと思うとしたら、それは女性の方が線を引いているからじゃないでしょうか。
「女らしさ」にこだわるのは、親のしつけじゃないでしょうかね。うちは母がずっと働いていたし、父は職人で弟子がたくさんいて忙しかったから、子どもは放っておかれた。
ただ、母には「お前は器量が悪いからニコニコしていなさい」と言われたわね。ニコニコした顔は誰でもいい顔だからってね。だからニコニコしていたらみんなにかわいがられました。でもそれはね、こびへつらうという意味じゃないの。自分に自信がないとニコニコできないでしょ? 誰にでも必ずいいところがあります。そこを大事にしていけばいいのよ。
よく使われる例としては「自分らしさ」「女らしさ」「男らしさ」「子供らしさ」「~らしくしなさい」「~らしくないね」「~らしいことしてよ」
う~ん。何気なく使っているけれど、改めて考えてみると「らしさ」ってなんだろう?「当たりまえ」ということ?決めつけられた概念?それとも曖昧なもの?