山口 智子 (Yamaguchi Tomoko)さんとは
仕事を始めた意外な理由
「仕事を始めた理由は、極々シンプル。『田舎に帰りたくなかったから』。ほんと、不純な動機です(笑)。実家は当時、旅館を経営していて、一人娘の私は家業を継いで旅館の女将になるという道が定められていた。でも本心は揺らいでいて、20代前半の頃は、どうにか家業を継がないで済む方法はないだろうかと必死でもがいていました。
出演したドラマはどれも話題を呼び高視聴率マークの山口智子さん
「ダブル・キッチン(1993年4月16日 - 6月25日、TBS)」では今は亡き野際陽子さんとの、明るい中にもシリアスなエッセンスがたっぷりこめられたやり取りが、視聴者の共感を呼びました。
「スウィート・ホーム(1994年1月9日 - 3月27日、TBS、東芝日曜劇場)」では不本意だった小学校受験の渦の中にいつのまにか巻き込まれる母親の役を。布施博さん演じる夫との軽妙な会話のキャッチボールがドラマを盛り上げました。「お受験」というwordがポピュラーなものとなったのはこのドラマが始まりと言われています。
「29歳のクリスマス(1994年10月20日 - 12月22日、フジテレビ、木曜劇場)」は仕事と恋愛が主なテーマのいわゆるトレンディドラマ。
理不尽とも思える職場の対応・厳しい環境の中で必死にもがくオトナ女子を描いたこの作品は、当時のOLたちの間で大変な共感を呼び、等身大ドラマとしても話題になりました。
仲村トオルさんとの恋愛に悩み葛藤する主人公を演じた山口智子さん。彼女の発するナチュラルなセリフ運びは耳に心地よく、時にもらされるため息の重さも当時のオトナ女子には「リアル過ぎる」との声も。
切なく哀しい心情と、でも明日も頑張らなきゃ!頑張る!という感情の微妙な変化が繊細に描かれていて、後に語られた山口智子さんご自身の内に秘めたる葛藤があればこそのプラスαだったのではないだろうか?山口智子さんだからこその感性がこのドラマを薄っぺらなトレンディドラマではなく多くのオトナ女子の心に響いたものとなったのではないだろうか?そんな印象も受けました。
仕事と恋愛がメインテーマのこのドラマを振り返ると、オトナ女子の悩みは時代を経た今も何ら変わっていないような気がします。
「王様のレストラン(1995年4月19日 - 7月5日、フジテレビ)」ではシェフの役を演じられた山口智子さん。 松本幸四郎さんや筒井道隆との共演の中でもその存在感は光るものがありました。
「ロングバケーション(1996年4月15日 - 6月24日、フジテレビ)」
未だに語り継がれる大ヒット作。最終回の瞬間最高視聴率は、43.8%を記録しました。
オープニング曲である久保田利伸 withNaomi Campbellの「LA・LA・LA LOVE SONG」
また、ドラマのオリジナルサウンドトラック盤ともに記録的な大ヒット。
山口智子さんのナチュラルな演技がよりいっそう光るドラマの一つ言われています。
「向田邦子の恋文(2004年1月2日、TBS)」では、今までの山口智子さんとは違った一面を感じたような気がします。向田邦子さん・そして彼女が生きた時代を懐古させてくれる味わい深い演技で、多くの視聴者がノスタルジーを感じたと、その感想を述べています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/山口智子 参照
「スウィート・ホーム(1994年1月9日 - 3月27日、TBS、東芝日曜劇場)」では不本意だった小学校受験の渦の中にいつのまにか巻き込まれる母親の役を。布施博さん演じる夫との軽妙な会話のキャッチボールがドラマを盛り上げました。「お受験」というwordがポピュラーなものとなったのはこのドラマが始まりと言われています。
「29歳のクリスマス(1994年10月20日 - 12月22日、フジテレビ、木曜劇場)」は仕事と恋愛が主なテーマのいわゆるトレンディドラマ。
理不尽とも思える職場の対応・厳しい環境の中で必死にもがくオトナ女子を描いたこの作品は、当時のOLたちの間で大変な共感を呼び、等身大ドラマとしても話題になりました。
仲村トオルさんとの恋愛に悩み葛藤する主人公を演じた山口智子さん。彼女の発するナチュラルなセリフ運びは耳に心地よく、時にもらされるため息の重さも当時のオトナ女子には「リアル過ぎる」との声も。
切なく哀しい心情と、でも明日も頑張らなきゃ!頑張る!という感情の微妙な変化が繊細に描かれていて、後に語られた山口智子さんご自身の内に秘めたる葛藤があればこそのプラスαだったのではないだろうか?山口智子さんだからこその感性がこのドラマを薄っぺらなトレンディドラマではなく多くのオトナ女子の心に響いたものとなったのではないだろうか?そんな印象も受けました。
仕事と恋愛がメインテーマのこのドラマを振り返ると、オトナ女子の悩みは時代を経た今も何ら変わっていないような気がします。
「王様のレストラン(1995年4月19日 - 7月5日、フジテレビ)」ではシェフの役を演じられた山口智子さん。 松本幸四郎さんや筒井道隆との共演の中でもその存在感は光るものがありました。
「ロングバケーション(1996年4月15日 - 6月24日、フジテレビ)」
未だに語り継がれる大ヒット作。最終回の瞬間最高視聴率は、43.8%を記録しました。
オープニング曲である久保田利伸 withNaomi Campbellの「LA・LA・LA LOVE SONG」
また、ドラマのオリジナルサウンドトラック盤ともに記録的な大ヒット。
山口智子さんのナチュラルな演技がよりいっそう光るドラマの一つ言われています。
「向田邦子の恋文(2004年1月2日、TBS)」では、今までの山口智子さんとは違った一面を感じたような気がします。向田邦子さん・そして彼女が生きた時代を懐古させてくれる味わい深い演技で、多くの視聴者がノスタルジーを感じたと、その感想を述べています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/山口智子 参照
インタビュー記事のコメントから見える山口智子さんの「人」としての魅力
「私自身の人生は、これから先もずっとずっと続いていくのだから、自分が何に興味を持って、何を学びたいかを明確にして、自分自身で合点がいくことをしてみたいと思ったんですね。だから、『ロングバケーション』以降、俳優の仕事からしばらく離れていたのも、とくに大きな決断をしたというわけじゃないんです。
結婚した直後だったこともあり、小さい頃に漠然と抱いていた『主婦になりたい』という夢をちゃんと実行してみようかなと。主婦って衣食住に関わって生活をクリエイトする仕事でしょ。面白そうだなと思って。それで家のことを楽しんでたら、あっという間に4〜5年経っちゃった(笑)」
唐沢(寿明)さんと結婚してからは、料理は毎日徹底的に作りました。『こんな私を選んでくださってありがとう。せめて食でご奉仕しないと』という思いもあって(笑)。彼も大勢人を呼んで毎日が誕生会みたいだった。で、エネルギーを注ぎすぎて燃え尽きちゃった(笑)。『一生分は作ったな』という達成感はありますよ。
やるときもやらないときも、すべてが徹底している山口さんだが、唐沢さんは、もともと「無理なことはしなくていいよ」という考え方。今では、美味しいものを一緒に食べに行って、お店で料理が出てくるのを待っている間、夫婦で会話する時間を、心から楽しんでいるのだそうだ。
31年ぶりの朝ドラ・23年ぶりの月9ドラマ
ロングヘアをバッサリと
パワフルな茶子を演じている山口だがファンからの「死ぬまでに絶対これだけはしたいけれど、それほど大きくない夢」という質問に「毎日好きなことを順番にし尽くして生きているので、思い浮かばないですね」と回答。茶子のモットーである「明日、死ぬかもしれないから」のように、日々やりたいことを存分に行っているという生き方に、登壇者は羨望の眼差しを向けていた。
https://www.cinematoday.jp/news/N0109658 引用
https://www.cinematoday.jp/news/N0109658 引用
学生時代からのモデル活動。CMでの華々しいデビュー。そして朝ドラの主役。数々のドラマ出演。高視聴率マークの歴史。どこを切り取っても芸能界の中では「陽」のイメージしかない山口智子さん。
老舗旅館を継ぐことが決められた道だったことやご家族との関係はずいぶん前から週刊誌等で取り上げられたこともありましたが、最近ご本人の口から語られる今まで歩んできた道・生きることへの真剣な姿勢。夫である唐沢寿明さんとの理想的な関係。~一日一日を「好きなこと」で費やしている~とこともなげに仰る、その言葉が生まれる根底には、様々な葛藤があったからこそ。
山口智子さんはドラマの中で演じるキャラクター以上に「人」として魅力的なオトナ女子。
いつまでも応援したい「イイ女・山口智子さん」は永遠に「カッコイイ女・山口智子さん」なのであります。
老舗旅館を継ぐことが決められた道だったことやご家族との関係はずいぶん前から週刊誌等で取り上げられたこともありましたが、最近ご本人の口から語られる今まで歩んできた道・生きることへの真剣な姿勢。夫である唐沢寿明さんとの理想的な関係。~一日一日を「好きなこと」で費やしている~とこともなげに仰る、その言葉が生まれる根底には、様々な葛藤があったからこそ。
山口智子さんはドラマの中で演じるキャラクター以上に「人」として魅力的なオトナ女子。
いつまでも応援したい「イイ女・山口智子さん」は永遠に「カッコイイ女・山口智子さん」なのであります。
身長 170cm
血液型 A型
趣味 映画鑑賞
夫 俳優・唐沢寿明さんとの結婚生活のスタートは1995年 ~
【軌跡】
栃木市立栃木西中学校時代には生徒会会長を務め、栃木県立栃木女子高等学校を経て、青山学院女子短期大学家政学科卒業。短大在学中は広告研究会に所属。 短大在学中よりモデルとして活動を開始。1986年、東レキャンペーンガールでデビュー。
健康的で瑞々しい肢体と弾ける笑顔が、大変話題になりました。
https://www.ken-on.co.jp/yamaguchi/profile/ 参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/山口智子 参照