今回はオードリーの晩年の生き方をピックアップしてみました!

時を超えても愛されるオードリー

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女優として鮮烈なデビューを果たし世界中から愛された彼女。
映画作品ではアカデミー賞、ゴールデングローブ賞、英国アカデミー賞、舞台作品では1954年『オンディーヌ』でトニー賞を受賞。さらに死後にグラミー賞とエミー賞も受賞、アカデミー賞、エミー賞、グラミー賞、トニー賞の受賞経験を持つ数少ない人物。
私生活では、二度結婚して、それぞれに一人ずつ息子を産んでいます。
映画界でのピークが過ぎてから、オードリーが映画から足を洗うがごとく、スイスへ移住します。
彼女はユニセフの親善大使をしていました。親善大使をしながら、アフリカやアジアの貧困の中にいる子供に愛情を注いでいる姿は、女優そして一人の人間として模範になるのではないでしょうか。

晩年はユニセフに愛を注いだ

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悲惨な戦争体験をしていたこともあり、オードリー・ヘプバーンは積極的にチャリティ活動を行う人物でした。
1954年、ユニセフの支援を開始したヘプバーンは自らの目で発展途上国の現状を知るために様々な国へ足を運びました。そこで目の当たりにした劣悪な環境や悲惨な状況に大変ショックを受けたそうです。
1988年、オードリー・ヘプバーンはユニセフの親善大使に任命されることになりますが、亡くなる1993年までその任命が解かれることはありませんでした。
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ユニセフ活動でソマリア視察中、オードリーは異変に気が付くも、誰にも言わず痛みを我慢しながら仕事に励みました。個人的な事情で、荒廃したアフリカの国々を訪問する任務が果たせなくなることを恐れたのです。ソマリアから帰国すると、その支援を訴えるべくヨーロッパを廻り、救済キャンペーンに参加。
しかし1992年11月、あまりの激痛と体調不良に病院へ足を運ぶと緊急入院、すぐに開腹手術が行われるも、手が付けれない状態で手術はできませんでした。末期の虫垂ガンでした。自分よりも支援を優先させてきたものの、死がそこまで近づいていると悟った彼女はスイスに戻りたいと願い、パートナーのウォルターズと長男ショーン、次男ルカに見守れながら、1993年1月20日、志半ばにして永遠の眠りにつきました。
63歳という若さでした。

オドリーの愛した詩

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オードリー・ヘプバーンが亡くなる年の最後のクリスマス・イヴに、
2人の息子、ショーンとルカに読み聞かせたという詩を紹介します。
この詩の原文は、アメリカの詩人サム・レヴェンソンが孫娘の誕生に贈った手紙であり、
彼の詩集『時の試練を経た人生の知恵』に収録されていたものでオードリーが愛した詩なのです。
時を越えた美しさの秘密


魅力的な唇であるためには、美しい言葉を使いなさい。

愛らしい瞳であるためには、他人の美点を探しなさい。

スリムな体であるためには、飢えた人々と食べ物を分かち合いなさい。

豊かな髪であるためには、一日に一度子供の指で梳いてもらいなさい。

美しい身のこなしのためには、決してひとりで歩むことがないと知ることです。


物は壊れれば復元できませんが、人は転べば立ち上がり、

失敗すればやり直し、挫折すれば再起し、間違えれば矯正し、

何度でも再出発することができます。

誰も決して見捨ててはいけません。


人生に迷い、助けて欲しいとき、いつもあなたの手のちょっと先に

助けてくれる手がさしのべられていることを、忘れないで下さい。

年をとると、人は自分にふたつの手があることに気づきます。

ひとつの手は、自分自身を助けるため、

もうひとつの手は他者を助けるために。


 (オードリーが息子たちに読み聞かせた部分の訳文は以上ですが、
  詩はさらに続いているので、その部分の訳文も掲載します。)



女性の美しさは 身にまとう服にあるのではなく、

その容姿でもなく、髪を梳くしぐさにあるのでもありません。


女性の美しさは、その人の瞳の奥にあるはずです。

そこは心の入り口であり、愛情のやどる場所でもあるからです。


女性の美しさは、顔のほくろなどに影響されるものではなく、

その本当の美しさは その人の精神に反映されるものなのです。

それは心のこもった思いやりの気持ちであり、時として見せる情熱であり、

その美しさは、年を追うごとに磨かれていくものなのです。


サム・レヴィンソン
いかがでしたか?

心も生き方も美しい。
そこから人の魅力、惹き付ける強さ、生きていく強さに変わっていくのだと思います。

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