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世界中の男性だけでなく、女性達までも魅了したオードリー・ヘプバーン。
彼女を一躍スターダムに押し上げた「ローマの休日」はヘップバーンカットなどそのヘアスタイルも含めて、ヘップバーン旋風を巻き起こしました。
何故、これほどまでにヘップバーンが世の女性たちの心を惹き付けたのでしょうか?

それは、単なる可愛らしさだけでなく、彼女の内側から湧き上がる1人の人間として確立している力強さや、すべてを包み込むような優しさ、そして、最大の魅力、オトナの女性の間に垣間みられる少女のような茶目っ気たっぷりな振る舞いが、その時代の女性たちにも大いに受け入れられたのでしょう。

現代に置き換えても、オードリー・ヘップバーンの人としての魅力は充分に受け入れられ、共感されるものとなっています。
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オードリー ヘップバーン生誕85年記念でGoogleのロゴもお召替え
どんな時代に置いても、マニュアルのような一面性の魅力だけを持っている女性より、様々な表情を豊かに表現してくれる女性に支持が集まるようです。
今風に言えば、非常にスペックの高いオトナ女子と言えるかもしれません。
さて、かく言う私も、オードリー・ヘップバーンの魅力に惹き付けられた1人です。
私を笑わせてくれる人を私は大事にします。正直なところ、私は笑うことが何よりも好きなんだと思う。悩ましいことが沢山あっても笑うことで救われる。 それって、人間にとって一番大事なことじゃないかしら
スクリーンの中で見せる彼女の可憐で清楚な立ち居振る舞いにため息をつき、ユーモア溢れるしぐさに胸をキュンとさせ、そして時折見せる大人びた冷めた表情にドキッとさせられました。
どうしたら、あんな風にイヤミなく、可愛らしさとオトナの女性の冷静さを共有することが出来るのか?

それは、彼女の生い立ちや幼少時代の経験にヒントがありました。
イギリスに生まれ、両親の離婚や生活の為に、ヨーロッパ各地を転々としたオードリーでしたが、第二次世界大戦中は、ナチスドイツの占領下にあったオランダで、悲惨な戦争体験を目の当たりにしながら、過ごしています。

(この体験が、後にオードリーがユニセフの活動に従事するベースとなり、
1989年に女優業を引退しユニセフ親善大使に就任。ソマリアで難民救済に力を注ぎました。
最後まで自分の役割を見出し、人生を全うしました。)

戦時中に、オランダで、ひとかどのバレリーナとして活躍したオードリーは家計を助ける為に、厳しい管理下の中で、何度も秘密裏に公演を開いています。
可憐で華奢な容姿とは裏腹に、オードリーに凛とした芯の通った一面を見いだせるのも、少女時代のこのような体験に裏付けされているのかもしれませんね。
私にとって最高の勝利は、ありのままで生きられるようになったこと、自分と他人の欠点を受け入れられるようになったことです。
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その後は、イギリスを中心に舞台女優として活躍していましたが、「ローマの休日」の主役を射止めたことで、彼女の人生は大きく変わります。

この後の活躍は皆さんもご存知の通りです。
与えられた役をうまく演じることだけでなく、オードリーは、自らの人生観をその役に投影して、私たちに大きなメッセージを伝えていたのかもしれません。
いわゆる天賦の才に
恵まれていると思ったことはないわ。
仕事を心から愛して
最善を尽くしただけよ。
- オードリー・ヘップバーン -
オードリーは歳をとることを怖がらなかったと言います。

自分の生き方、瞬間瞬間の自分の美しさを素直に表現することを大事にしたのかもしれませんね。
この辺りが彼女を世界中から愛される名女優とした所以でしょうか。
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たしかに私の顔にしわも増えました。
ただ、それは私が多くの愛を知ったということなのです。
だから私は今の顔の方が好きです。
- オードリー・ヘップバーン -

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