「おちょやん」のモデル・浪花千栄子さんが発信したメッセージ
via www.nhk.jp
水のように生きる
4歳で母を亡くし、8歳で奉公へ出された苦労の多い幼少期、そこから松竹家庭劇(のちの松竹新喜劇)の看板女優へ。そして人気喜劇俳優との結婚とその後の離婚。離婚後は活動拠点をラジオと映画・テレビに移し、全国に知られる女優として大成される波乱の生涯。
「水のように生きる」―自らの生涯をそう表現した浪花千栄子の生き方に学びます。
夫の女性関係と借金
うちの場合は、〔編集部注・浮気相手が〕何十人という経験者ですから、何十人どころじゃない、20年近い夫婦生活で100人近う、次々かわってます。戦争になって、いよいよ日本がだめだという時になって、はじめて夫婦らしい生活ができるようになったんです。アッツ島玉砕〔1943年〕ではじめてうちへお金を持って帰って来たんですから」(「上方おんな愛憎廻り舞台」)
しかし、同居を始めると、今度は借金取りに悩まされる。一度いくら借金があるのか聞いたところ、当時120円しか給料をもらっていない時代に、3600円だったという。
別れる決意
そうして公私ともにひたすら尽くしてきた千栄子だが、ある時破局を迎える。44歳の天外が女優・九重京子と不倫をしたうえ、子どもが生まれた。そして、愛人のもとに走ったのだ。当時でも耳目を集めるスキャンダルであった。
20年の結婚生活にピリオドを打つ
「ちょっとした舞台のしぐさに難くせつけていじめるのです。その度にこちらから部屋へあやまりに行くと、ぼろくそに言って、お前が自分で一膳の飯でもくらえたら、おれは逆立ちして、道頓堀から銀座まで歩いてやるわ、と言いますから、とうとうおしまいに、わたくしあんたさんと別れまして、10ぱいのご飯いただいてごらんにいれます、と申しました。これが20年間の夫婦生活ではじめての口答えです」
昭和26(1951)年、渋谷天外と離婚し、松竹新喜劇を退団した千栄子は、一時消息不明になる。しかしここから「不死鳥のように甦った」と評される快進撃が始まるのだ。
これは、女優・浪花千栄子さんの人生のほんの一部を切り取ったものにすぎません。おそらく、そこには、筆舌に尽くしがたいものがあったことと思います。公私ともに尽くした夫の裏切り。劇団からも身を引き、別れることを選んだ浪花千栄子さん。その後の女優としての活躍は素晴らしいものでした。元夫への恨みや意地、複雑な感情が、彼女の「生きる・生きてやる・見返してやる」という気持ちの根っこを支えていたのだろうということが、彼女のメッセージから読み取れます。
あなたは「離婚」を考えたことがありますか?
既婚女性に聞いた「離婚」を考えたタイミング
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もうイヤ!もう無理!これ以上は一緒にいたくない?
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離婚の原因
とても興味をそそられる内容。「なるほど」と頷いてしまいます。
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