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宮城県塩竈市に鎮座する塩釜神社で毎年3月10日に行われている塩釜神社帆手祭もそのひとつです。姫路市で開催される灘のけんか祭、松山市で開催される北条鹿島まつりとともに日本三大荒神輿にも数えられ、しおがまさまの荒みこしという呼び名でも知られています。

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日本三大荒神輿 塩釜神社帆手祭

"日本各地にはさまざまなユニークなお祭りが残されていますが、宮城県塩竈市に鎮座する塩釜神社で毎年3月10日に行われている塩釜神社帆手祭もそのひとつです。姫路市で開催される灘のけんか祭、松山市で開催される北条鹿島まつりとともに日本三大荒神輿にも数えられ、しおがまさまの荒みこしという呼び名でも知られています。
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塩釜神社と塩釜神社帆手祭のそれぞれ

塩釜神社の歴史

塩釜神社は今でも正式には旧字体で表記されますが、古代からの歴史をもつ由緒ある神社です。古代には朝廷による東北平定の最前線にあったことから特に崇敬されており、国家から破格の祭祀料を受けています。中世にも奥州藤原氏や鎌倉将軍家、奥州管領などの武家からの寄進が相次ぎました。近世に入ると仙台藩の伊達家が大々的に社殿の再建や修理を行っており、現在残っている社殿もこのときのものです。明治時代の旧社格制度のものでは国幣中社となっています。

塩釜神社帆手祭の歴史

いっぽうで塩釜神社帆手祭の歴史は江戸時代前期の天和年間、西暦1682年にまでさかのぼります。この年に塩釜の市街地を焼く大火が起こり、当時漁業や交易によって栄えていた塩釜の港に出入りをする船も少なくなり、街の活気が薄れるということがありました。そこで市中では火伏せと産業の振興を塩釜神社に祈願するため、このお祭りをはじめたといいます。格式高いこの神社では、当時は一般の立ち入りが制限されており、一般の参詣はもっぱら門前までという決まりでしたが、このお祭りに参加する若者に限っては、垣内まで入ることができるという特別な許可が下りていました。
当初は梵天とよばれる、長い竿の先に飾りをつけたものを先頭に町内を練り歩いただけで、現在のように神輿が登場することはありませんでした。それが享保年間に神輿ができて以降は神輿が町内を練り歩くスタイルに変わり、年々華美の度合いを加えていったといいます。帆手祭という名称も正式には明治時代になってからのものですが、もともとの梵天という名称がなまったものという説もあります。

塩釜神社帆手祭の流れ

塩釜神社帆手祭では、例年午前10時に境内において本殿祭が行われ、神輿が神社を出発するのは11時30分ごろからとなっています。塩釜神社は海を見渡せる高台に位置しており、境内に至るには長い石段を登る必要があります。塩釜神社帆手祭では、重さおよそ1トンほどもある神輿を白装束の若者たちがかつぎ、この石段を逆に一直線に駆け下りることになるため、間近で見るとかなりの迫力があります。神輿が町内巡行へと出発するこのシーンは、塩釜神社帆手祭のハイライトともいえるでしょう。
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熱気にあふれる神輿担ぎは日本三大荒神輿の名にふさわしいものです。そして神輿の後ろには武者姿や巫女姿のきらびやかな衣装をまとった稚児行列が続くところも別の意味での見物といえます。
神輿は東北本線の塩釜駅や市役所を経て海沿いのほうまで練り歩き、須賀神社に到着してひとやすみしたのち、また町内を回って本塩釜駅、御釜神社、表坂下の順番で夕方ごろに神社の境内へと戻ります。このようにお祭りは防火をメインの目的としているとはいえ、神輿洗いのような海との関わりも深い行事になっています。神輿は巡行の最後に塩釜神社の表参道にあたる坂道を進みますが、こちらも出発と同じく活気にあふれた華々しいものです。
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塩釜神社には 国の天然記念物に指定されている塩竈桜や八重桜も

塩竈市内では3月に行われるこの祭事が春を告げるしるしとして親しまれています。ここから気温がしだいに高まって4月、5月になると塩釜神社の境内でも国の天然記念物に指定されている塩竈桜や八重桜などがいっせいに花開き、花見のシーズンを迎えます。この時期の境内も全国から多くの参詣客が集まりにぎやかになりますので、観光には絶好の機会ということができるでしょう。

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「3月に行きたい名物祭り”塩釜神社帆手祭”」のライター