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長浜曳山まつりの起源は、およそ400年ほど昔、当時長浜の城主であった豊臣秀吉公の夫婦に男の子が授かったと伝えられていて、大喜びをした豊臣秀吉公は砂金をお祝いに町民に渡し、町民が山車を製作して長浜八幡宮のお祭りのときに曳き回しはじめたのが、始まりだそう。

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豊富秀吉が起源の”長浜曳山まつり”

今から、およそ400年ぐらい以前の下克上の戦国時代に、その当時の長浜の城主であった豊臣秀吉公の夫婦に男の子が授かったと伝えられています。そのことに大喜びをした豊臣秀吉公から砂金をお祝いに町民に贈られました。そこで町民たちは、山車を製作して長浜八幡宮のお祭りのときに曳き回したのが、長浜曳山まつりの起源です。
江戸時代を迎えると、子ども歌舞伎が曳山にある舞台で上演されるようになってきました。そして曳山は金の彫刻や銀の彫刻、漆などの装飾で飾り付けられて海外で製造された織物などが幕として利用されて、今現在では動くことが出来る美術館と言われる形式に発展していった訳です。13台ある曳山の中でも長刀山以外の4台ずつが交代で毎年出場しています。
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子ども歌舞伎

ホワイトハウスに招待?!

長浜曳山まつりの見どころは山車が非常に豪華絢爛なことも大きな魅力の1つですが最も見どころとなるのは、およそ5歳から12歳ぐらいの男の子が演じている子ども歌舞伎です。子ども歌舞伎の熱演の様子はアメリカのクリントン大統領からホワイトハウスに招待されたほど見ごたえがあります。
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4月13日の夜から14日の午前中 15日、16日

4月13日の夜から始まり、4月14日の午前中と15日、16日の4日間に亘り公演されているのです。最も賑わうのは15日となっていて午前中から夜に及ぶまで盛大に催されます。他にも14日の夜間に行われている子ども役者による夕渡りという行列や15日に提灯による灯がゆらめいている山車が勢揃いするのも見どころです。

4月の9日から12日までは裸参りが行われ夜の午後8時ぐらいから始まります。役者が無事でいることと歌舞伎の順番を決めるクジで良い結果を得られることを豊国神社と長浜八幡宮に祈願します。また3月の中旬頃から本格的に立ち稽古が行われ4月の9日から稽古場が一般の人たちに公開されて台本読みが行われいる様子を観光客も見ることが可能です。

そして4月の14日に登り山が行われ午前中に歌舞伎公演を行った曳山4台を午後1時ぐらいから長浜八幡宮に曳いていき、境内に15日になるまで勢揃いしています。夕渡りも4月の14日に行われ子どもの役者が行列するのです。長浜八幡宮から夜の午後7時に出発して、役に合っている歩き方で練り歩きます。長浜曳山まつりの大きい見どころの1つです。
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また4月の15日には源義家は所縁と伝えられている太刀渡りが行われ関取の姿をした若衆が鎧姿をした子ども武者を先導しながら行列し朝の午前9時前頃に長浜八幡宮に辿り着きます。子ども歌舞伎も4月の15日に行われ朝の午前9時ぐらいから4組の演目が順番に長浜八幡宮内で公演されます。その後も夜の午後8時ぐらいまで御旅所神前と長浜八幡宮内からの道中の道路で終日公演されるのです。

神輿還御も4月の15日に行われ御旅所神前で行われた歌舞伎が終わった後の夜の午後9時ぐらいに、御旅所から神輿が長浜八幡宮に帰っていきます。静かな雰囲気の歌舞伎から神輿還御によって一気に勇壮な雰囲気へと切り替わるのです。戻り山も4月の15日に行われ神輿に続いて、長刀山と曳山4台が長浜八幡宮に帰っていきます。これで4月15日に行われる全ての行事が終了です。
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歌舞伎と狂言

ちなみに歌舞伎のことを長浜では狂言とも言いますが、4月の13日と14日、16日には自町狂言が行われます。
長浜市内の色々な所で曳山を路上に出して4月の13日の夜と14日の午前中と16日の終日に歌舞伎が公演されるのです。
装飾類は、3人の従者と貴婦人が描かれている鳳凰山飾毛綴と槍を持っている大勢の武人を織物で表現した翁山飾毛綴が日本国の重要文化財となっていて、どちらもベルギー製の、およそ400年ぐらい以前の織物となっています。

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「4月に行きたい名物祭り”長浜曳山まつり”」のライター