東大卒ミュージシャンとして音楽活動の他、クイズタレント・コメンテーターとしても活躍するグローバーさん。実は彼は苦労して入った東大を中退し、ミュージシャンの道を選んだという過去が…。その後、再び大学に戻り無事卒業。時を同じくして、立ちはだかっていた壁が崩れ、新たな道が開けたと言います。少し遠回りをしたことで見えたグローバーさんの人生観とは?
2018.2.14
東大を中退しミュージシャンに。その後、再入学を果たすまで。
STAGE編集部:東大卒ミュージシャンとして知られるグローバーさん。その経歴とは?
グローバー:1978年の6月4日に東京で生まれまして、すぐ今の新横浜のあたり、大豆戸町に引っ越しました。小学校から桐蔭学園で、小・中・高とエスカレーター式の同じ学校に通っていました。その後、大学受験して東京大学に行って…と、学歴しゃべってもあれですね(笑)
東京大学を一度中退しまして、その後8年ぐらい開いて、もう一度再入学しました。ですので、大学をちゃんと卒業したのは34〜35歳ぐらいですね。
STAGE編集部:なぜ天下の東京大学を中退したのか?そして再び戻ったのか?
グローバー:とにかくもう音楽が楽しくて、在学中にバンドでというより、バンドに付随してラジオでしゃべったり、当時MTVという音楽チャンネルでしゃべったりとか、自分の好きなこともできているし、お金も稼げていました。
それで一度中退したのですが、そのままうまく行っていれば多分戻らなかったと思うんです。でも自分のやっているバンドが思うようにいかなくなって、30歳のときに結婚して家族ができてしっかりやっていかなきゃと思い始めたこともあって、大学に戻ろうと思いました。
中退した時は、大学の教授に「勉強の意欲が戻ったらもう一度来ます」と言って、自主退学という形で大学を出たので、ずっと頭の隅っこには戻るかもという意識はあったんですが、やっぱり好きな音楽ばかりやっていると、そんなことはどっかに行っていましたね。
ダメもとで大学の教授のところに行って相談したのですが、期間が8年も空いていたのでなかなか難しかったようです。でも教授がもう一度入りたいという学生がいると教授会にかけてくれて、自分が責任持ってちゃんとやるからと説得していただき、復学させてもらいました。
そこから2年間、美術史研究室ゼミを頑張って勉強して、ようやく卒業しました。
STAGE編集部:8年の時を経て、30歳にして戻った大学。当時と違い大人になってからの勉強は得るものが大きかったという。
グローバー:大人になると、学びたいという気持ちって蘇ってきたりしませんか?学生の時は勉強が嫌で嫌で、そこから半ば逃げるようにして、自分の好きなことに打ち込んだりしたんですが、年を取ってくると、あの時もっと勉強すればよかったとか、ああいうこともできたのに…という気持ちが戻ってきたんですよ。
でも再入学してよしやるぞ!と思ったら、今度は頭がもたつくんですよ。学びたい意識はすごくあるのに、幼稚園の運動会で足がもつれちゃうお父さんみたいに、頭がついてこない。だから勉強は若いうちにしておくべきだということを痛感しましたね。そういうことが分かっただけでも、もう一度大学に行った意味はあったなと思っています。勉強はいつでもできるから、年取ってからでもできるからって思うんですけど、若い頃のあれだけ頭が回っているときに一生懸命何かをちゃんと勉強しておくというのは大切だということを自分の子供にはちゃんと言ってやろうと思います(笑)。
自分も昔そうやって親から言われていたんでしょうけど、そういうのを振り切って半ば家出みたいにして中退したので、今になって親の言っていたことがよく分かります。
いい学校に通わせてくれたインド人の父の想い
STAGE編集部:東大の学生は裕福な家庭が多いと言われる。グローバーさんはどんな家庭に生まれ育ったのか?
グローバー:全然、裕福じゃありません。うちの父はインド人で、母は日本人で、父は出張で飛び回ったりしてほとんど家にいないような家庭でした。母も自宅で一生懸命に英語の先生をやって稼いでいたので、兄と自分の2人を育てるのは大変だったんだろうと思います。
それでもお金のかかる私立の学校に入れてくれたのは、インドで育った父が言うには強盗に襲われたり火事が起きたり天災が起きたりすれば「物」はなくなってしまうけど、頭の中に入っている「もの」は奪われることはないから、それをしっかり子供の頭に入れてあげようということだったみたいです。
それで1997年に東京大学に入学したんですけど、ちょうど父が仕事を失ってしまい、とにかく家にお金がなかったんです。それを大学に申請すると、学費を全額免除とか半額免除とかしてくれるシステムがあって、それでなんとかやっていけました。2年目からは親がなんとか工面して学費を払っていきましたけど、いろいろ大変な時期でしたね。
そんな苦労して大学に入れてもらったのに、学校に行かずに中退してしまって…本当に親不孝をしましたね(笑)
STAGE編集部:苦労しながらも続けた大学生活。それを中退するとなった時、両親の反応は?
グローバー:当時は親への反発心みたいなものがあって、東大に入った段階で、何か親に義理は果たしたみたいな気持ちに勝手になっていて、合格発表も親とは別に自分1人で見に行って「受かったよ」と言うぐらいで。それである日、黙って家に帰らなくなって、自然と家を飛び出したような状態になっていました。たまに会うと「ちゃんとやっているの?」と言われるので、「やってる、やってる」と言うだけ。
そして音楽活動で大学にも行かなくなった頃、大学から親の方に「このままだと除籍になる」という連絡が行ったんです。それで親がひっくり返って、ファミレスで…忘れもしないバーミヤンですけど、話し合いになりました。「自分にとって音楽は遊びじゃないんだよ」みたいなことを言って、親は「ちゃんと卒業はして、好きなことをしたらいいじゃないか」と。親も涙流しながら話してくれたんですが、その頃は反発心で聞く耳を持たなかったですね。それから母が教授のところに行って、自主退学届などの手続きをすべてやってくれて、自分はただ教授と話すだけでした。
教授からも「後悔するぞ」と引き留めてもらったんですけど、「嫌だ」と言って、除籍じゃなくて中退、自主退学という形にしてもらいました。今思えば、ギリギリのところで親と教授にセーフティーネットを作ってもらったということでしたね。
〈後藤由紀子〉ありのままの自分でかなえる心地よい生き方
「お金とは、よくわからないもの これからわかりたいもの(後藤由紀子)」