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「川越まつり」は、”川越氷川祭の山車行事”として ユネスコ無形文化遺産 国指定重要無形民俗文化財となりました。関東三大祭りのひとつ。川越氷川神社は縁結びのパワースポットとも言われています。

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川越という街

埼玉県の川越といえば、歴史的な街があるところとして知られています。
その歴史の始まりは比較的古いですが特に注目されたのが江戸時代です。今では、小江戸と呼ばれており昔の建物などが並んでいることから多くの観光客でにぎわっている場所です。
駄菓子を販売している街並みもあり、大人から子供まで楽しめる場所の一つと言えるでしょう。
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江戸幕府のころ

ここではかつて、江戸幕府の直轄地として松平氏が土地おさめていました。1600年代に川越周辺の街並みが大火事に見舞われた歴史があります。当時は、まだ現代のような消防施設がないだけでなく木造住宅で燃えやすいため瞬く間に炎が広がって川越の主要地区のほとんどが燃えてしまいました。これにより、町の再興を図らなければなりませんが川越藩主の松平信綱が町の再興をはかるべく様々な政策を行っていたところです。

それから20年ほどが経過した時には、松平信綱がみこしを二つと獅子頭そして太鼓などを寄進します。寄進した先が川越氷川神社と呼ばれる所で、現在でも参拝者が多い場所になります。

”川越まつり”が始まる

さらに数年が経過したころ、川越氷川神社のお祭りで寄進したみこしなどが利用されお祭りが始まったわけです。それからは、今までとは異なり明るい町並みが広がるようになりました。
この祭りのことを川越まつりと呼んでいますが、当時は今のようにみこしが中心ではなく山車などが使われており非常に背の高いものがもちいられていたのが特徴になります。これにより、街の復興を果たし次第に多くの人が詰めかけるようになったのが特徴の一つと言えるかもしれません。

明治維新になると、今まで江戸幕府の影響を強く受けていた神社は解体されることになりましたが、ちょうど川越まつりも影響を受けることになります。さらに、戦後になると電線が引かれることになり背の高い山車などを使うことができなくなりました。

現在の”川越まつり”のかたち

これにより現在は、それほど背の高くない山車を利用するか神輿などを利用しているのが現状です。ただ、川越まつりの流れ自体は東京の神田祭などの流れをくんでおり当時の時代のお祭りが色濃く残っているのが大きな特徴になっているわけです。

ちなみに、建材の神田祭は江戸時代のものとは少し異なり形を変えてしまいました。そのため、その原型が川越まつりの方に流れているといえます。
2005年には、重要無形民俗文化財に指定されており、その後2014年にはユネスコ無形文化遺産の登録に成功しています。
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自由なルートを練り歩く

この祭りの特徴は、練り歩く場所が必ず決められているわけではないところです。従来のお祭りの場合には出発地点とゴール地点そしてどこを練り歩くかが明確に定められているものが多いです。
ですが、町内によって歩く場所を変更することができ結果的に自由なルートを通るのが魅力といえるでしょう。
人形を飾りつけている山車が魅力的で、舞台の上で囃子を披露しているのがほかのお祭りにはないところになります。それ以外でも、曳っかわせなどもあり参加する人を魅了する流れとなっているわけです。
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曳っかわせ

ちなみに、この曳っかわせとは何かといえば、山車と山車がすれ違う時にお互い正面から顔を合わせることを意味しています。
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ときには何台もの山車が顔を合わせることになり、これが一番お祭りの中で盛り上がる場面といっても過言ではありません。

アクセス

アクセスは、高速道路などでも行くことができますが鉄道利用する場合には西武線を利用するかJR川越線を利用するのがよいでしょう。
八王子方面からも八高線を利用することで現地に到着することができます。
観光地ではありませんので、宿泊できるところはありませんがビジネスホテルなどはいくつか存在していますので早めの予約が必要です。
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「10月に行きたい名物祭り”川越まつり”」のライター