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「あばれ祭」は石川県鳳珠(ほうす)郡宇出津で、毎年7月第1金・土曜日の2日間行われます。石川県無形民俗文化財になっているお祭りです。1日目は約40基のキリコが大松明を火の粉を浴びながら進み、2日目はキリコに加えて神輿も登場します。

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”あばれ祭り”は”キリコ祭り”とも呼ばれている

あばれ祭は宇出津(うしつ)のキリコ祭りとも呼ばれ、
石川県鳳珠(ほうす)郡宇出津で毎年7月第1金曜日および土曜日に行われている祭りです。

なぜ”あばれ祭り”が始まったのか

約350年前この地に疫病が流行し、あばれ祭りの起源となった伝説があります。
桜井源五という人が京都の祇園社から、牛頭天王(ごずてんのう)を勧請してきて盛大な祭りをしました。

すると大きな蜂が現れて、次々に人々を刺したと言います。
その蜂に刺された人は病気がたちまち治り、蜂を神様の化身とし感謝の気持ちを大きなキリコに込めて町中を歩いたのです。
その結果病気は絶滅し、疫病退散となり人々を救いました。

牛頭天王は荒々しいことを好み、暴れれば暴れるほど喜ぶとされているので、このような暴れ祭りとなったようです。

火の粉の中を乱舞 神輿を海や川や火の中に投げ込む”あばれ”具合

能登地方の住民にとっては重要な祭りであり、この地区で生まれた人たちはこの時期には帰省するほどです。
あばれ祭りの特徴は何といっても、その名前の通り神輿があばれる勇ましさです。
高さ7mあまりの40数本のキリコが大松明の火の粉の中を乱舞し、2基の神輿を海や川や火の中に投げ込んで暴れます。
1989年に石川県の無形民俗文化財に指定され、勇壮な姿を一目見ようと、全国からたくさんの観光客が押し寄せます。
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キリコには願いを

あばれ祭りに使われるキリコとは巨大な切子灯籠のことで、代表的な形は背が高い直方体状をしています。
前面中央部にキリコ吉祥文字と呼ばれ、地区ごとの願いや祈りを込めて文字を記します。
後美人と言う背面には、武者絵や風景画などが施されています。
昔はロウソクなどを利用していましたが、中には電灯が入っています。上部には屋根や飾りがついていて、形や大きさは地区により様々です。
最初は手で持てるくらいの小さなものだったのが、次第に巨大化していき何人もが協力して担ぐものとなりました。各町内の男女によって担がれ、キリコの上には子供たちが多数乗り、子どもや若い女性が鉦を鳴らし太鼓をたたきます。
キリコを担ぐ時に肩に当てる紐付きの座布団が、柄が美しく見る人を楽しませます。
八坂八坂大子太鼓の音がかけ声と共に町中に響かせながら、町の中心部に集結してくる様子は壮観です。
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”あばれ祭”2日間の流れ

2日間にわたり行われる祭りは、朝にこの地区の産土神社である白山神社と酒垂神社が、八坂神社で神事を終えた後にそれぞれの神輿が氏子の町内を渡り歩きます。キリコも動きはじめ棚木海岸へと向かっていき、夕方には町にキリコが立林し壮観な眺めが広がります。夜9時ころになると花火が打ちあがり、宵祭りが始まります。キリコは能登の町役場の広場へ移動し、5本の柱松明に火がつけられ、その周りで太鼓の音に合わせ乱舞します。燃え上がる炎と火の粉が舞う中で、担ぎ手はもちろん見ている観客の気分も高揚するのです。
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2日目では神輿はキリコを従え、八坂神社に向かって行きます。
この時に暴れながら練り歩きますが、中でも梶川橋の上から神輿を川に投げ込み、水中で転がしたり乗ったりする暴れる様子は一番の見どころです。
神社に到着してからは、置き松明の炎の中に神輿を放り込み、火の粉が飛び散るほど痛めつけます。祭りが終わるころには、午前2時にもなり深夜まで暴れ続けます。

”あばれ祭”に行く際には

他にはないくらい熱狂的な祭りで、多くの人を魅了しています。
その熱気と迫力を、一生のうちに一度は訪れて味わってみたいものです。

金沢駅から高速バスが出ていたり、臨時のシャトルバスやタクシーなどの交通手段があります。
駐車場も臨時で幾つか設置されているので、車で行くことも可能です。
しかし混みあう事は必至なので、泊まりで予定を立てているならば早めに確保しておきましょう。
飛行機や新幹線なども、祭りの2日間は混みあいます。

着替えの準備も

また火の粉や水しぶきで服が汚れる恐れもあるので、着替えや羽織るものを持っていきましょう。

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「7月に行きたい名物祭り”あばれ祭”」のライター