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佐賀県唐津市で行われる「呼子大綱引き」は約420年前、豊臣秀吉が名護屋城に陣を構えていた頃、将兵の陣営を東西に分け、軍船の綱を用いて引かせたことから始まった伝統的な祭りです。6月の第1土曜日(子供綱)、日曜日(大人綱)の2日間にわたって行なっています。

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みなさんは『呼子大綱引き』と呼ばれるお祭りをご存知でしょうか。これは毎年6月に行われる佐賀県唐津市の伝統行事です。
国指定重要無形民俗文化財に指定され、その活気ある様子から全国にもファンが多い大変歴史のあるお祭りと言えるでしょう。

伝統ある”呼子大綱引き”の歴史

この歴史ある伝統行事はもともとは、約420年前に豊臣秀吉が名護屋城に陣を構えていた頃、兵の士気を高め結束を固めるために、加藤清正と福島正則の陣営を東の組と西の組に分けて、軍船の綱を用いて引かせて競わせたことが始まりと言われています。起源が戦場に出る屈強な兵士達によって行われいたものですので、その迫力はお分かりいただけるかと思います。

時代に合わせ変化し、現在では...

時代の変化とともにこの行事の姿は少しずつ姿と内容を変えていき、現在では五穀豊穣や大漁祈願の意味合いを持つものとなりました。少し前までは違う時期に行われていましたが、現在では作物の収穫時期や漁の解禁日程に合わせて、毎年6月の第1土曜日に子どもの部、翌日の日曜日に大人の部が開催されています。

綱引きの意味は?

実際にはどんな催しがあるのかというと、文字通り『綱引き』なのですが、これには単純な勝負ではなく別の意味合いがあります。
子どもと大人の部に分けられている以外は、年齢も男女も関係なく祭り衣装に身を包み『岡組』と『浜組』に分けられます。
勝負は3本勝負とされ、2勝したほうが勝ちとなります。岡組が勝てばその年は豊作であるとされ、また浜組が勝てばその年は大量であるとされます。

このどちらが勝っても今年はよいことがあるという趣旨のルールは、見ていて非常に気分のよいものです。生活に密着した事柄に関連付けられていることから、長い歴史とその重要性が感じられます。

どんな綱引き?

綱引きが行われる路上も必見です。この行事は毎年同じ路上で執り行われ、その地面にはタイルで図形と三本の線が描かれています。
これが『岡組』の陣地と『浜組』の陣地を表す図形なのです。三本の線は、ミトと呼ばれる中心線で最初はここに縄の中心がくるように配置されます。
それを挟んだ両側の線が両陣営の勝敗を決める勝敗線。この線の内側に相手陣をある程度引っ張り込んだほうに軍配が上がるというわけです。

ルールとしては一般的に学校で執り行われる綱引きのルールとさほどかわりがありませんが、この行事を行うためだけの図形などがすでに路上にタイルで設置されているというのはなかなか他では見ることはできないでしょう。
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呼子大綱引きの見所はもちろんメインである綱引きなのですが、その他にも若衆が祭り装束で町を練り歩く『若衆町廻(まわ)り』やお祓いなどの神事も執り行われます。
とくに『若衆町廻(まわ)り』は大人の部の一番最初に行われるもので、これから祭りが始まることを知らせる大変活気のあるものです。
威勢のよい掛け声や華やかな祭り装束に身を包んだ若衆たちが町全体を盛り上げます。
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”餅まき”も重要行事

さらに忘れてはならないのが『餅まき』です。これは子どもの部と大人の部共通で2日間にわけて行われます。この餅まきでまかれる餅は、福を呼ぶ、健康であれるといった意味が込められており、町民がこれを手に入れようと奮闘するのです。
餅を手にした子どもたちの笑顔はまた格別のものがあることでしょう。
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この『呼子大綱引き』はもちろん誰でも見学することができます。中には参加が可能な催しもあるので、見てよし参加してよしご利益もあるといったありがたい行事です。
また、国指定重要無形民俗文化財に指定されているといった点からも、この行事を体験することは大人のみならずお子さんにもよい経験になるのではないでしょうか。


佐賀県にはイカ刺しといった海産物から、佐賀牛、甘味などの名物も多いところです。6月にはぜひ佐賀県を訪れて、美味しい名物に舌鼓を打ち、呼子大綱引きを堪能してみてはいかがでしょうか。

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「6月に行きたい名物祭り”呼子大綱引き”」のライター